冷静な目、というより冷めた目。
難しい話をしたいわけじゃない。
恋愛も人生も、『終わり』に向かって全力疾走するか、テクテクと自分の歩みで向かうかのいづれかだ。
自身、極端な厭世家ではないにしろ、
普段は、人生に対しては達観を目指さないとはいえない生き方
そんな中にある恋愛は、できれば華やぐものであればよいと思っているし、
そのためのアレコレを考えている。
『恋愛は考えすぎない方がよい』というキャッチコピ-には、大いに賛同するけれど
『考えることをやめる』ことは、屍と遜色ないじゃないか! という 立場でもある。
つまりは、恋愛について考えることは限定的OKみたいな 意味不明な立場『楽しい空想限定』であれ
『悲喜こもごもの現実直視型』であれ
恋愛に一度かかわってしまえば、すでに『特別』な人格を付与されにように
相手も自分をも特別扱いすることは、無意識の称号戴冠ともいえる。
洗練された時間と、したたかな時間とは交互に訪れるのではなく
つくりあげるべくして出来上がるもの
少ない材料から、それを成し遂げることの困難さは
すでに先人達が証明してきた。
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▼恋愛の歴史うんぬん
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古来の日本では 「恋愛」ではなく「恋」=「したいやりたい」からスタートしているとか。
それはいいすぎにしても、オレもしたい、やりたい、時もある。
が24時間 そうであるわけじゃない。
西洋では「愛」と「性愛」を切り分けていたとか
イスラムでは 禁欲云々 とかの話はサテオキ
日本人の現在の恋愛観は、世界的にみても、日本の先史からの歴史おいても独特。
恋愛と宗教が結びついていないことが要因のようにも思う。
ソレはサテオキ
(1)告白を介して恋愛宣言をして始まる恋愛
(2)普段の親密さの延長線上にやがて恋愛という信頼関係がうまれること
日本人は形式的な民族なのか、告白を介して恋愛という形体を認められようとする性質があるように
とある国や地域では、集団の中で仲良くなり同棲をへて結婚にいたるのが一般的な国もある。
そういった国の同棲経験率は99%だという。
驚いた。
が恋愛→結婚の接続がスムーズだともいえる
多数派が(1)の形体であるゆえ、「恋愛と結婚は別物」という輩が登場するのも むりはない。
恋愛の延長としての婚姻が一般的になったのは、戦後くらいからじゃないのか
オレも物心ついたときから別物派だった。よいわるいはサテオキ
「戦前生まれじゃないよ」 とだけはいっておく(笑)
だから、恋愛と結婚が 同ルートか別ルートかなど 議論したくもない。
自分は こっちだ! と思い込んでいればそれで 結構。
投げやりに生きてるわけじゃない。
漫画に登場する「幼少期に親同士のきめたフィアンセ」
というものに抵抗があった。
抵抗というより違和感
家と家の結びつき
国と国との結びつき
それらのための結婚という儀式めいたもの
かつては人々が国境線を引き確定が安定するために利用された
当然、人権などない時代
1500年代のロミオとジュリェットの時代も 織田信長の時代の話も
古代ギリシャのプラトン「愛」の定義など到底理解し実践などできない。
今の時代の 今の恋愛しかできない体質というのも窮屈であるように思うけど
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▼恋愛禁止
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アイドルの恋愛禁止というのは、たまに聞く
では、国まるごと18歳未満恋愛禁止となったらどうだろう
たぶん日本なら猛反発になるかも
実際は、そういう禁止をしている国もある。
年齢制限を設けている国も (中国は18歳未満は条例で云々)
あるいは身分の上下によって禁じられている国も(インドのカースト云々)
坂本龍馬の時代でさえ身分制はあった
今の世ですら、
それが身分であれ、経済格差であれ、民族、風習、宗教、イデオロギーであれ、
あるかもしれないけれど、そういう観点でいえば、
今の国内の大部分の人は恵まれている。
自由すぎるほど。
自由であればあるほど、貴重さは失われる。
貴重さを忘れた人間ほど、愚かだというのに、
恋愛自体が愚かだといっているわけではないんだ。
けれど 主に自分が愚かなのか、恋愛をしている自分が愚かなのかと問いたくもなる。
同時に、答えてほしくもないが(苦)
だから 時折、自分に恋愛禁止を言い渡したくなる。しないけど。
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