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記憶がつくりあげる人のカタチ

▽Category : エッセイ
認知症の祖母がいる。間もなく90歳。
田舎の両親と一緒に暮らしている。

年に4.5回会うと、いつもチャン付けでオレを呼ぶ。
「今、どこに住んでいる。」
「今、何をしている」
毎回、同じ質問。毎回、同じ回答。

食事が終わった後に、話をする。
20代くらいまでのことは鮮明に覚えているようだ。
家のこと、親のこと、兄弟のこと。
毎日、日記を3行程度書いてある。

日付、曜日、天気、出来事。
夕食が終われば、ノートを取り出す。習慣。無意識。
今朝の食事が思い出せない。
「なんでしたっけ」と義娘に尋ねる。毎回。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼過去の自分を吸収するということ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
確かに、オレ自身も25歳くらいまでのことは鮮明に覚えている。
むしろ、鮮明すぎて思い出すと赤面するようなことまで。
ところが、これ以降の10年、15年間の記憶が曖昧。断片的。

脳味噌と云うのは、情報入力は先入れ法になっているのだろうか。
子どもの時に読み聞かせられた童話は今でもあらすじを覚えている。
子どもの頃に流れていたクラッシク音楽は今でも覚えている。

学生時代もそう。
本棚に並んでいるタイトルもくっきり覚えているし、
レコードのアルバム10曲のタイトルやカセットテープは手書きしたシーンまでも。

大人になって、読んだ本などは断片的な記憶でしかない。
大人になって、聴いた曲や歌った曲ですら、曖昧に覚えている程度。サビをふふふん程度。

30代後半になると、本を読み始めて、5ページくらいしてから
「アレ、この本読んだことがある」と気づいたり、
映画を見て、あら、これ見たことあるな。なんて云うことがけっこうある。

大人になると、記憶を刻むフォルダのサイズがだんだん小さくなるのか
あるいは、食べ物やファッションや車や人の好みだとか
物質的なものや文化的なものまで、若い頃のこだわりがどうでもようなっていくのか。

分別がついて、物事の分類ができるようになった代わりに、
恥ずかしいことや思い切ったことをしなくなった。恋愛においても。
子どもの頃に恥ずかしいことや思い切ったことをしたことが、
当時は隠し通したかったことなどが、今となっては自分の価値の一部のような気がする。

たとえば、誰かのために作った曲や、誰かと交換した手紙や
あるいはもう少し後の時代に書いたブログの記事や。

自分の足跡が恥ずかしいと思っていた部分が、
自分の足跡を笑えるような余裕が生まれ頃から、
自分自身の恥ずかしい過去の一部も、自分で許し、子ども染みた発想を喚起して、
大人になった自分自身に取り込んでいく。合体。合成。元々あったものなんだろうけど。
これは、自分らしくないとか、自分じゃないみたいに 横においていたものも含めて。

過去の自分を、もう一人の自分みたいな客観性を持って見つめられるようになったから、
記憶にうっすらとしか残っていないここ15年の記憶。
10年前からのブログの記事を読みなおすことで、自分に取り込んでいる。

そう、自分はこういう自分だったのだと。
人は自分の記憶で作られている。自分を取り巻く人たちの言葉とで。

25~30歳くらいの記憶がぶっ飛んでいる。
ブログでも振り返った様子はない。

勿論、断片的には覚えている。ん~。人の顔が走馬灯のように。
恋愛も、仕事も、友人たちのことも。
振り返ることに意味をあまり感じていなかったけれど、
覚えている間に、書き残しておいた方がよさそうだ。と思ったりもする。

ayashibito060.gif

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▼両極端になっていく感受性
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大人になればなるほど、自分自身の判断に対する曖昧さは消える。保留することが減る。
分別を持って。分類手段が増えて。分類箱が整理されて。刺激的な出来事の余韻を短く。

誰もが、自身に特殊性を備えていて、
それが他人に受け入れられるかどうか迷う時がある。若い時は特に。思春期とか特に。

ある程度の年齢になると、
(1)それを含めて全部受けれてくれる人。
(2)それを全部スルーしつつも自分を受け入れてくれる人。
(3)全くの他人。
こんな感じのくっきりとした人間関係になっていく。なる。周りがそうする。

子ども時代の友人は(1)に属し、
大人になってから出会う知人は(2)に属し、
恋人だとかという曖昧な存在は(1)か(2)の狭間で存在する。
(3)からはじまり、(2)を経由、警戒しつつ(1)へ。稀に。限りなくゼロに近い。
主観的にはこんな感じ。

逆でもそう。
相手のすべてを受け入れる時もあれば、
相手自身のみを受け入れて、それ以外の相手の周りの世界は切り取る。
例えば過去の一部とか、自分に関係のない相手の周りの人間関係とか。

人は、長く生きれば生きるほど、抱えるものが多くなる。
自分自身でさえ重荷になるほど。ゆえに、他人のすべてなど抱えると潰れそうになる。
全部の範囲から浅く渡すか、狭義の範囲から深く渡すか。
そういう関係性。

誰が決めたわけじゃなく、誰もが時間的な制約と、受け入れ可能な心の籠のサイズに合わせて。
それでも知りたがる。知って欲しがる。

ayashibito048.gifむしろこっちか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▼曖昧に見える部分 
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他人から見て、曖昧に見える部分や輪郭がぼやけている部分。
表現をためらっているように見える部分。そんなもの。

それ、何? と聞いてほしいもの。
それ、何? とは触れられたくないもの。あるいは人。

他人のことであれば、
「気になってしょうがない」が「気にしてもしょうがない」にいつの間にか変わっていく。
主に、興味。関心。好奇心。冒険心。時には征服欲、所有欲、あるいは虚栄心?とか。

自分のことであれば、
「気になってしょうがない」ものには、時間をかけて輪郭を与えて理解しようとする。
「気にしてもしょうがない」ものには、適当に輪郭をつけて整理する。時間をかけずに。

40歳を不惑。と呼んだ時代の平均寿命は、たぶん30歳以下だったはず。
今でいうところの不惑なんて90歳overなんじゃないかと思う。勝手に。オレが。

20代は若さだけで、30代はその若さの余韻と勢いで、浮かれて。
さてその後は、結構現実に軸足を置いている。時々、無理やりにテンション上げ。

とはいえ、恋に焦がれる部分については、若さへの憧れと云うよりは、
「勢いの鈍化した感性への燃料みたいなもの」を欲しているのだろうか。

恋愛を始めることに、理由がいること自体面倒くさいな。と思いつつ。
理由を考えることが好きだったりスル自分がいる。

「一緒に考える人」を探しているのではなく、
探し当てた後は、「考えることを休むことができる」と思う。とか。それは錯覚なんだろうけど。

いったん始まれば、始まった形あるものを また考えるんだろう。

ayashibito055.gifいつもの手札のように
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