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恋愛をはじめる前に思うオトコの思考回路

▽Category : エッセイ
2001年から2年ほど遊んでいたOCNカフェが2月末に閉鎖した。当時のテキストは残っていない。
タイトルナンバーは別サーバーに残っており、記憶にある数量の5倍ほどの量があって驚いた。
タイトルを眺めても どんな事を書いたのか全く思い出せない。
思い出せない程度の話だったのかもしれない。

後半 カフェスタに移動、そこで何組かのカップルと知り合いになった。
彼らが どこで何をしているのかは知らない。 お互いさまである。

自分の歴史などは 自分の記憶にあるものがすべてではなく
誰かの記憶に残る自分の姿もまた 歴史の一部 そして記録


仕事に埋もれる4月

4月になってイメージしていた以上の仕事が山積していて、3月までの2か月は 続けて寝落ちしていた。
PCを立ち上げることすら はばかられるほどの疲労、今現在の疲れというより 蓄積してきたものだ。
春眠暁を覚えずである? 違うな。 ただの中年の勤続疲労であるといえばわかりやすいが悔しいな。


ayashibito016.gif 恋をしよう


「春になったら恋をしよう」と 心のどこかでうっすらと考えていた。

何かに誓いを立てたわけではない。何かを祈ったわけでもない。
ただ 漠然と そういう時期が自分に訪れるであろうという予感ではなく 意志に近い感覚。

周りと自分との関係のある人との別れと出会いが、一番大きな変化をみせる時期。
自分と自分の周りの関係もまた、いろんな変化のある時期である。

「周りが変わるから恋愛ができる」 という論理は、冷静に考えればおかしな話だ。
自分がその気になれば「いつでも始められる」 と思っていた感覚は、体力や筋力と同じだ。
いつも全盛期を誇れるわけではない。ということに 自然と気づく。

否が応でも気づかされる。



ayashibito025.gif イメージほど軽やかに動かない体


どっちから?

恋愛をすると テンションは上がる。いわゆる ナチュラルハイという状態。
「誰かと出会えば急速に上昇するのだろうか?」という想いがよぎる。

『テンションを上げるのが先』
『相手を見つけるのが先』 

どう思う? 世間一般の意見として。

相手が見つからないと テンションはあがらないだろう というのも正解
テンションがあがらないと 相手を見つける気にもならないだろう というのも正解

では テンションを上げるのが先か 相手を見つけるのが先か
などと ウダウダ自分を中心に自分がまわっていたんじゃ 不正解 というのが 正解か

しかしまて それは 無理な話ではないか と 頭の中でぐるぐる これは独り言。

では、テンションを上げるためにやること 
探検? といえば しっくりくるが
冒険? というのは ちょっと違う気がする



 ayashibito011.gifいづれにして 世界へジャンプせねば


ウェブでつながる世界の変化

数年前と違い 2012年現在は、フェイスブックのように実在する自分を前面に出して 人とつながるアイテムもある。
が 正直 あれは自分には向いていない。とやる前からNOの姿勢。
世間に対して流行にのらない自分に酔っているわけではない。やらない理由を探すのも面倒だ。

数年前に流行ったSNSのミクシィに誘われてIDはつくった。
なんというか 自分の居場所としては 居心地が良かったとはいえない。
なんというか 狭いのだ。 その狭さが快適に感じる人にはいいだろうけれどね。

ユーチューブやニコ動のような 動画も一方通行で時間つぶしにはいいけど、自分側から発信したいものはない。
2chのような媒体も同様で、一定以内の距離感を超えて接することもなく今を迎えている。

ときどき見かけるツイッターも 炎上した特定の記事しか目にしていないため、攻撃側は それなりの刺激を享受するのだろうけど
反対側の立場を考えての発言とは思えない大人の世界ではない気がしてスルーし続けている。

ネットゲームから距離を置いたのも 似たような理由。
すでに 成熟した世界に子供たちが放たれている世界で、彼らが描いた世界観に 自分のそれが合わないのだ。

とかなんとか 距離を置いた理由などどうでもよい。
要は、世間の進化と世代間のギャップに対してアプローチするのが面倒なのだ。

結局のところ、従来型のブログの世界なら 特定の誰かであれ、全くの他人であれ 
好きなように存在できる安心感を得られるのは、多分 こういう10年を過ごしてきたからだと思う。 

これがスペシャルなことだから 楽しいのではなく、自分にとっての居心地の良さは「シンプル」であること。
関係する各方面の方々に対して、1on1双方にとって「わかりやすさ」と「時間の流れを自分で決められること」
多人数で遊んでいるように見えて 1対1の会話が成立すること。
チャットやメールのようなクローズドなものは、時間と人との関係において自分で自分を縛っているような気がするので、
メインではなく惣菜的、いやお漬物的存在だ。

ayashibito060.gif 「ああ そういうことなのか」


と 自分の腑に落ちた。



ナチュラルハイ


「記憶」というより 「感覚の断片」をこうして言葉でつながないと納得できない脳味噌になったのだろうか。

普段 頭に浮かんだイメージが あれやこれやとあって それを 頭の中で漠然と考えるのが好き。
テキストに並び替えて自己完結すると 「まあ いいか」 というものは だいたい 自分の内側だけで消化される。

ここ何年もそんな感じ。そういう生き方を望んだのか、そうせざるを得ずに そうなったのかは、わからない。

もともとハシャグということが苦手で、今の状態が正常だとすると、
以前の恋愛のテンションが異常だということになる。

いわゆる ナチュラル≠ナチュラルハイとの往来。

が それを認めると なんて自分が「忙しいふりをした退屈なイキモノのなのだ」と思ったりもする。

だから 過去のログを読み返すと、楽しそうな自分がいて、 
自分であることを理解すると、楽しく生きているほうが 当たり前に楽しいと思う感覚がある。

だから 「また 恋愛をしようか」と思う。
それはそれで 自然なことなのだろう。

問題は 「いつするのか 誰とするのか どこでするのか」 である。

恋愛を始める前に準備すること、という記事を以前に書いたことがある。
ページをめくらないと思い出せない。

そもそも「恋愛とは準備するものなのか」 と 自分に問えば 実に微妙だ。
誰かに 「恋愛とは準備するものなのか」 と 問われれば 「そうだ」と答えてきた。 

あるいは そう思った。



穏やかな恋


ニュートラルな立ち位置でナチュラルである今
「何を望むのか」 と 自分に問えば、『穏やかな世界観』と『激しい世界観』を並べたなら

ayashibito039.gif  穏やかなもの?

その2種類以外のことはサテオキ

では 穏やかな恋愛が実際に始まるとして、「穏やかさな世界に 自分がなじみ続けられるのか?」
といえば はなはだ 疑問だ。

「激しい恋愛が多かったのか?」 と 思い返せば、全体としては 普通の恋愛といえる。
普通じゃない恋愛が 今の世の中にはたくさんある。
そういう意味では 複雑な事情を抱えた恋愛は 自分が望んでいるとは思えない。

複雑とは何か を考えるとコンガラガルし望むところではないのでサテオキ
「こんな恋愛がしたい」 と 描けなければ それができないことも知っている。


まずは 描くことから始めよう


自称メンクイ派 を名乗ると 厚かましくも感じるが、たいていの男は そうである。
そして このメンクイの許容範囲は 女子10に対して9は許容範囲なのだ。
はたして それがメンクイ宣言といえるのか。
ひょっとしたら メンクイ派というのは 本当はそんなにこだわっていないのに
こだわっているふりをしているだけなのではないのだろうか。

と 自分を怪しんでしまう

ayashibito051.gif どうでもいい話だ。

もちろん 自分が好きになる女性には「美しすぎる」と毎日でも思いたい。
実際 口に出すかどうかは 激しく謎だ。

美しい絵画や景色に出会った時の感動は誰にだってあるだろう。
その景色を初めて見たときと 100回見たときとの感動は 初めて>100回目である。
これは 誰にでも納得ができるところだろう。

恋愛において、初めて見た顔>100回見た顔 であることは 景色観と同じである。
が 恋愛においては 顔を見続ける間に、品格や性格や性癖やその他さまざまな情報が飛び込んでくる。
それを 整理することで 手いっぱいなので、顔に対して飽きている暇がないのか 
はたまた、感動が薄れたとしても、もともと好みのタイプの顔だから、「まあいいか」となるのかは 謎だ。
いや 謎というわけではなく、遺伝子だとかホルモンだとか科学的な根拠はあるにせよ、今回はパス。

それは 顔だけに限らず そそるクビレや ドキッとした胸元や
ムラっとした太ももや たわわなヒップに対しても同じである。

触れていないもの 拝んでいないもの 体感していないもの
そういったものへの 畏怖がある限りは冷めやらぬ興味と関心。

早い話、好奇心である。

全部知ってしまうと 冷静さを取り戻して賢者のような すがすがしさを得られるオトコの感覚は、
人類の半分の人口を誇る男たちの共通した感覚でもある。
それは 感覚であって 恋愛観のすべてを組織するものではない。

そしてそれは 「知った」のではなく、「好奇心を満たした」程度のことなのだ。
「女がなんであるかを知った」などといえるオトコはこの世にはいない。
「女が何であるかなど知りたくもない」とこっそりいえるオトコはわずかだがいる。

ayashibito051.gif どうでもいい話だ。

若いころは 若い世代の間の中でしか選べなかった女性たちのカタログのような選択肢、
今では たとえば20代30代40代の異性を観て それぞれに思うことがある。

おそらく本能的に感じる品格に対して起こる化学反応みたいな感覚。

若い世代の舌足らずの言葉遣いや 一見傍若無人な振る舞いに、幼い者同士なら許せた感覚。

今は無理。 彼女たちに言わせても「アタシ無理」。

ayashibito001 早い話 どうでもいい話だ。


一方で 年を追うごと自分のアイデンティティが頑固になっていく女性たち。
いつも「私は 私は」というのは 女性特有なのかどうかはサテオキ

とにかく 女性側からみて「私とあなたの間に 何か見えないものをおったてるわよ」的な
常に正面から向き合わざるを得ない雰囲気をぶつけてくる。 これも苦手。
40代後半からの女性で かつ自分が恋愛の現役だと思っている女性に多い。

厄介な相手だ。というか 今回は対象外。

ayashibito072.gif ごめん


恋愛が始まるときには 正面衝突みたいなものじゃなく 横を並走するような感覚が望ましい。


記事を一日寝かしたら


さて、昨日描いた恋愛観。 全くを持って不可解だ。自分が書いておきながら・・・である。

あーだこうだと語るほど 実際はそんなに相手にこだわりのないオレ。
飲みに行けば隣に座った女子が誰だろうと じゃらじゃらやってるわけである。
そのじゃらじゃらは キャッチボールのようなものだから、本気で恋愛のうんたらかんたらを賭けているわけではない。

そんなじゃらじゃら系に 必要以上の時間を費やすこともない。
もちろん 相手にとってもそうである。

ちょっと具体的でない話は 書いていて疲れるね。
読んでいるひとも また然りだと思う。

描きなおしだ。


ayashibito067.gif 才能ナッシング

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はるき♪

筆者:黒い彼//HN:はるき♪ 
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どうでもいい話を 

オトコ目線で 
思いつきの長文で 




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